

そもそもは学校での勉強が分からない、逆に学校の勉強だけでは不足だといった需要から利用し始めることになるのが塾や通信添削だが、塾業界では個別指導塾の人気が一九九〇年代半ばぐらいから続いている。個別指導塾とは、集団授業を行う程度かそれより少し狭いぐらいの教室に生徒を何人か集め、講師は教室内に入るものの、生徒の求めに応じて教科を教えるといった塾だ。前述したように生徒間はパーテーションで区切られていたりする。また、ある程度の広さのある教室ではなく、最初から二〜三人しか入ることができないような小部屋を用意し、およそマンツーマンで指導しているところもある。いずれにしても、集団授業を行わない学習塾のことだ。家庭教師のようにマンツーマンで教えてもらうことができるが、料金は一人対二人以上なら家庭教師ほど高くはない。家庭教師が自宅に来るとなると、保護者も自宅にいなければいけないし、家庭教師に出すおやつや月謝以外の謝礼の心配までしなくてはいけないなどということを考えると、便利な塾なのだ。塾友だちだって作りやすい。
大学受験勉強法というのを世に問うたときに出された最大の批判は、点数を上げるため、大学に受かるためだけの小手先のテクニックで、真の学力がつかないというものだった。たとえば、十分な数学力がついていないのに、暗記数学で点数だけはそこそことったような学生が、よしんば東大に入っても、使い物にならないというわけだ。数学科に進学するなど、真の数学力が必要な場合は確かに対応できないのかもしれない。しかし、見るところ、社会に出て必要なのは、いわゆる数学の教科的な学力より、数学的情報処理能力である。つまり、解法パターンをたくさん覚えておいて、これを組み合わせて、未知の問題を解決する。これは、知識を使って推論するという、認知心理学的な問題解決の基本的な方法論である。能力(ノウハウ)こそが身につけるべきことであって、数学の問題がすらすらと解けるようになるというコンテンツ学力は、社会ではそれほど必要とされないだろうということだ。そう考えれば、大学受験勉強法で身につける能力には、暗記のテクニックといい自分の能力特性を分析してそれに合わせた勉強を進めることといい、あるいは計画作成術なども含めて、社会に出て役に立つノウハウつまり、コンテンツ学力以上にノウハウ学力がつくはずだと考えるようになったのだ。ノウハウがたくさんちりばめられていると自負している。
かつて日本人は、英文法を知っていても英語が話せないと言われた。現在はどうか。少なくとも、過去二〇年以上大学で英語を教えてきた経験から言えば、いまの学生は文法も知らなければ話せもしない。文部科学省が早くその英語教育の方針を修正しないかぎり、これからますます日本人の英語はおかしくなっていく。おそらくは、見切り発車的に導入した小学校の英語教育なども、まったく効果を現わさないであろう。そのとき、これはまだコミュニケーション中心主義の英語教育が不十分なせいだと勘違いし、現行の方針に固執して小学校の英語を必修課目にしたり、その授業時間数を増やしたりしていけば、英語ばかりでなく母語たる日本語もおかしくなる。
[参考] 100円オンライン英会話のぐんぐん英会話